ラオス出張・滞在記 vol.1
これまで縁あってたくさんの国に訪れたけれど、最も近いうちにより鮮明に思い出せる今書き起こしてみようと思った。
学生時代から、社会人、そして以前ミャンマーのヤンゴンという街に駐在員として数年滞在している中で、前述のようにそれなりにたくさんの国々を訪れることができた。
タイ、マレーシア、カンボジア、ベトナム、シンガポール、インドネシアなどミャンマーからそんなに離れていない国々は訪れている。そんな中行きたいのに行けてなかった国がまだ数カ所あった、その国の一つがラオスだった。
「何もないんだけどいいんだよね。」
そんな表現がよくされる国であり、あの作家として有名な村上春樹氏ですら「ラオスにはいったい何があるというんですか?」という本を出しているほどであり、また彼は一人旅、特にこのラオスで様々な名作を生み出していると言われている。
そんなラオス、正直なかなか行く機会がなかった。ミャンマーにいる時から直行便があるわけでもなく、正直フライト代も安くはなかったし、当時はどうせ何もないならもっと楽しそうな他のところにしようと他の国やミャンマー国内を優先させてしまっていた。
また日本に戻ってからも、なかなか旅行として旅をする機会も減り、出張となってもフランス、中国やその他東南アジアには漆器関係や、単純にマーケットとしても魅力的であるのに対し、ラオスは人口数百万人の国であり、ビジネス観点から見てもなかなか足を運ぶことができていなかった。
そんな中今回仕事関係でラオス・ベトナムへの視察団に参加しないか?というお誘いをいただいた。正直割と忙しい時期であること、またパリでの展示会を終えてそんなに間を空けずの出発であったこともあり、最初は乗り気ではなかったんだけど、ふと「ラオス」の文字が気になった。
ここでいかないとなかなか機会がないかもしれない。「ラオス・ベトナム」のミッション団だったが、ワガママを言い、ベトナム行きはパスをしてラオスだけであればと参加を決め、首都ヴィエンチャンは同行、世界遺産の街ルアンパバーンは一人で動くことにした。
1890年代後半からおよそ半世紀に渡ってフランスの植民地として知られるラオスには、その植民地時代の名残が残っていて、上の写真のパトゥーサイもパリのシャンゼリゼ通りにある凱旋門を模したものだ。よくよく調べてみると建築中に財政難に陥り未完成の建物だという情報も。
さて、実際のところ関西国際空港からハノイを経由しヴィエンチャンに入ったのは割と遅くなり、また別便の同行メンバーも待っていた関係で初日から長い1日となった。先にチェックインしたホテルはヴィエンチャンのいわゆるダウンタウンに位置し、近くにナイトマーケット、そしてそこらじゅうには飲食店やバーで賑わっていた。これは日中は仕事を少し頑張るとしてもラオスの現地のことを知ることができそうだ。
個人的に出張できている今回の旅であるが、どうせ来ているなら現地のことをより深く知りたいと思っていつも旅に出る。出張=旅ではないという人もいるかもしれないけれど、個人的にはそんなに大差はない。むしろ仕事というバイアスがかかり、向こうもオフィシャルに接してくれることで信頼が増し様々な話ができることもある。逆に旅人としてのフラットな関係でまるで数年連れ添っている友人かのように二軒目、三軒目と繰り出すこともある。むしろ海外出張はそのどちらも楽しめる絶好の機会だと考えいてるし、出張で仕事だけで終えるのは本当にもったいなくてする気もない。
食事の場所はホテルから徒歩圏内。同行者に元ヴィエンチャン駐在者がいたこともあり、顔見知りのお店だそうだ。二階の貸切部屋に案内されたが、すぐに食事というわけではなさそうであった。「バーシー」という健康と繁栄を祈る儀式というものをこれからの我々の出張を祈願し行ってくれるとのことで、そこには祈祷師様の姿もあった。
「これこれ、こういうの待ってました」
ただ食事したり、日本人の仕事関係者と話すだけでなく、現地の文化に少しでも長く触れたいと感じていたので、こういったおもてなしはとても感謝!バーシーは数十分行われるのだが、祈祷師様が飾られた置物のようなものに念仏?お経を唱え、そしてそこに括られた白い紐をメンバー一人一人の左手に巻いていく。その後はたくさん束ねられた紐を各自お互いにお祈りをしながら各々の腕に紐をどんどん巻いていくというものである。
バーシーを終え、ラオス料理をいただいた。写真は撮り損ねたけれど、どれもそこそこ美味しい。やっぱ東南アジアは外れないよなー。
1時間半ほど食事をして、ここで初めて会う方々とも挨拶をし22:00頃には解散。皆がホテルに向かう中、個人的にはここからが旅の醍醐味でしょと下調べしていて気になったお店へ。
ここからは仕事を切り離した個人旅のスタートだ。
下調べしたバーだったけれど、軒先のこのバンの感じを見てあたりに違いないっしょと思ってスタッフに声をかける。店内を案内されたが、せっかくの街中なんだからと外の席へ。街中ってもここは少し外れでほぼ真っ暗んだけど。前に少しこましなホテルがあるだけ。
アップルとハーブ風味のシーシャとビアラオをオーダーして外で一人楽しむ。ま、店内もガラガラで貸切だからそりゃ一人だわな、あっはっは。
これからのラオスをどう堪能しようかなとスタッフにwifiパスワードを聞くと、もう二つ席を横にずれろという。なるほど前のホテルのwifiを使うわけだ。パスワードは知っており、二つ席をずれるとバッチリ入った。
テラス席でシーシャとラオビアを飲みながら仄暗い目の前の道を眺める。韓国人の団体客が酔っているのか大声でホテルの中に消えていく。。、とその団体とすれ違うかのようにがたいの大きな欧米人3人組みがバーにやってきた。彼らもスタッフと話をし、オレの横のテラス席に座ってきた。やっぱ外だよね。
彼らもビアラオやカクテルなどを頼み談笑をしている。
「シーシャかい?いいねぇ吸っていいかい?」
全員50くらいのいい感じのおっさん友人旅とでもいう感じで、その中でも特に気さくなおじさんFrankが声をかけてきた。
「いいよ!」。そのあとは彼らの旅の話やこっちの出張の話について話をした。
3人はイングランド人2人とアイルランド人1人組の旧友らしく、以前から時間ができては3人旅をしているようだ。イングランドとなると自分が学生時代にウィンチェスターに短期留学していた話をすれば鉄板に話題が盛り上がるので助かる。
シメの一杯だったのか彼らはその一杯とシーシャを堪能して早々にチェックをしホテルに戻っていった。最後にシーシャのお礼にビアラオを置いていってくれた。
24:00近くになったのでチェックをしようと女性スタッフに声をかけた。英語が素晴らしくうまいラオス人だったのだけれどオーナーの奥さんということだった。
オーナーの名前は忘れてしまったけれど、エジプト人でここラオスに数年前に移住し、奥さんと出会い現在バーを経営しているそうだ。
いい笑顔の二人に癒されながらさすがの長旅で疲れていたのでホテルに戻ろうと歩いていると、このヴィエンチャンの深夜にもかかわらず爆音でライブを行っているお店があった。
すでに24:00を回り、翌日もそれなりに早い出発だったけれど、せっかく来たんだからといつものもったいない精神が爆発し、ライブバーへ。
人、人、人。ラオス人も音楽好きなんだなぁとここでもシメのビアラオをオーダーして音楽を楽しむ。
現地バンドとボーカリストの英語の曲や現地語での曲。言葉はよくわからなくてもこういう空間で酒が入れば楽しむだけなので本当に楽しい空間だった。
あー、初日から疲れたけど、今日はよく眠れそう。